文字の種 

小説、インスタレーション
2020年

東京藝術大学大学美術館所蔵 野村美術賞受賞 

 
博士学位論文のための調査を通して、紙型が燃えていく光景を何度も想像した。日々燃やされていた新聞の紙型。使われなくなり、焼却される書籍の紙型。 鉛活字の文字は溶かされて何度も生まれ変わる。しかし、紙型は 一度燃えてしまえば、永遠に消え去る。そこにある言葉もまた文字 とともに消えていく。 本作では、1880~1890年代にかけて日本において手作業で製造 されていた紙型を再現し、使われなくなった印刷所の鉛活字とともに、作品の素材とした。紙型を作るために活字で組んだ文章は、 本作のために書いた『文字の種』と題する短い物語である。

 

博士学位論文題目 

日本の活版印刷における紙型の再発見とその考察 ──物質的文字の断片に対する視覚文化論的解釈

本論は、日本の活版印刷における紙型を研究対象とする。紙型と 、活版印刷の工程で製造される中間生成物である。紙型は、活字 の組版の上に紙を何層にも圧し重ねて作られる。紙型に鉛を流し 込み、一枚の鉛版を鋳造する。この鉛版が印刷に使用される。 本論では、紙型について二つの観点から考察する。一つは、印刷 技術の発展の中でどのような役割を持ち、印刷に関わる人々にど のように捉えられてきたのかという点だ。もう一つは、現存する紙 型、特に二次制作物の材料として転用された例について、視覚文化 論の視点から解釈する。 紙型は、1829年にフランスでクロード=ジュノー(Claude Genoux, 生没年不明)によって初めて完成された。活字組版の上に 湿らせた紙型用紙を置き、硬い刷毛を使って手作業で叩き、圧し込 んで制作する湿式紙型による鉛版鋳造法が始まりである。紙型の 誕生によって、利点が生まれた。(1)重刷の際に再び活字を組み直 す必要がなくなった。(2)重い鉛の組版を保管するよりも、紙型は 保管しやすい。(3)新聞の印刷については、紙型を用いることで湾 曲した輪転機での大量印刷を可能とした。以上の点から、活版印刷の発展には欠かせない技術だった。 しかし、紙型は、ほとんどが活版印刷の技術書のなかで扱われる のみであり、充分に研究対象とされてこなかった。現存する実物も 急速に姿を消しつつある。印刷会社であれば、版権と同等の価値を 持つ門外不出の財産として、外部に持ち出されることはなかった。 だが、保管場所の問題もあり、廃棄が進んでいる。新聞社では活版 印刷を行なっていた当時から、毎日生産される新聞の印刷のため の中間生成物として、日々廃棄されていた。よって、今も現存する 紙型は限られている。 日本において活版印刷の歴史の中で重要な役割を果たしてきな がらも、保管やアーカイブ化がされていない現状だ。また、印刷の 過程で生まれる中間生成物に過ぎないという認識から、一義的な 価値しか与えられず、大系的な研究に繋がらない。 本論では、紙型について印刷文化の範囲でのみならず、二次制作 物の材料として様々に姿を変える例を中心に、断片的に残された 紙型に定着する文字に注目し、視覚文化論の視点から考察する。 

 
東京藝術大学大学院美術研究科 博士審査展2020
【会期】2020年12月10~12月20日(日)
【会場】東京藝術大学大学美術館
 作品写真:陳雨心